受肉したルシファー(その2)

その1の続きです。

 ルシファーは、前三千年紀(BC.3000~BC.2001)初頭に、中国にあった秘儀の学院にいた人間に受肉した。秘儀の学院は、グノーシス派のマニ教に似たものだと考えられる。

【グノーシス主義】・・・”1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。物質と霊の二元論に特徴がある。グノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたとみれる。代表的なグノーシス主義宗教にマニ教がある。”『wiki
wiki

【マニ教】・・・”サーサーン朝ペルシャのマニ(216年 - 276年または277年)を開祖とする、二元論的な宗教である。ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの流れを汲んでおり、経典宗教の特徴をもつ。かつては北アフリカ・イベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸で広く信仰された世界宗教であった。マニ教は、過去に興隆したものの現在ではほとんど信者のいない、消滅した宗教と見なされてきたが、今日でも、中華人民共和国の福建省泉州市においてマニ教寺院の現存が確かめられている。”wiki

華表山・草庵。現存する世界唯一のマニ教寺院(らしい)

 グノーシス主義が1世紀、マニ教が3世紀に誕生なのだから、前三千年紀初頭に存在した秘儀の学院より、かなり時代が後がではないか?と、指摘されそうだが、それはもっともである。しかし、影響はある。
ルシファーの文化は、西暦がはじまった頃のグノーシス派の中にはまだ残っていました。
 ある日、突然、新たな文化が生まれているように見えても、何かしら、”それ以前”の文化から影響しているものである。秘儀の場からの伝承(または漏えい)であれば、それを認めることはなおさら難しいだろう。

  前三千年紀(BC.3000~BC.2001)初頭に、東アジアに点在していた秘儀の学院の影響から、グノーシス派などの流れを生んだ文化が後の世に生まれた、と解釈する。もちろん、歴史学上のマニ教は、ペルシャから後の中国に伝わったことは否定しない。ここで重要なのは、ルシファーの文化の”残照”が、グノーシス派のマニ教に内在しているという点である。
  
 前三千年紀(BC.3000~BC.2001)の秘儀の学院の記録などは、ほとんどアカシックレコードにアクセスしなければならない世界だから、アクセスしたと思しき人物の著作に触れなければ、推測すらできない。だから、秘儀参入者が話す内容を紹介しなければならない。

 少し整理しよう。

 人智学の時代区分でいうと、ルシファーが受肉した前三千年紀は、エジプト・カルデア文化期である。

●後アトランティス時代  
 □第一文化期(インド文化期)BC.7227~5067
 □第二文化期(ペルシア文化期)BC.5067~2907
 □第三文化期(エジプト・カルデア文化期)BC.2907~747←ルシファーの受肉
 □第四文化期(ギリシア・ラテン文化期)BC.747~AD1413 
 □第五文化期(ゲルマン‐アングロ・サクソン文化期)AD.1413~3573 ←今ココ!
 □第六文化期(ロシア・スラブ文化期)AD.3573~5733年
 □第七文化期(アメリカ文化期)AD.5733~7893(万人に対する万人の戦い。月の帰着)


(*BC.8000~6000年に、アトランティス大陸は、洪水、氷、水による破局で水没した。)
(*シュタイナー用語辞典のエジプト・カルデア文化期の項目を読むと、”その地に、ルシファーが人体に受肉した”とあり、ルシファーの項目と矛盾しているようにみえる。カルデア文化圏を拡大解釈すれば中国西方もふくまれるが・・・。GA0193でシュタイナーが中国とはっきり書かれているので、中国で正しいだろう。)


カルデア地方と周辺地域(wiki
 
 ルシファーが受肉した秘儀の学院があったと思しき地域を特定するために、シュタイナーの発言のみでは難しい。そこで、久しぶりに、グルジェフおじさんのお話しを紹介する。

 わしが自ら二度目にこの惑星に降下していた時期には、ティクリアミッシュ国(*)は、この惑星上での通常の生存に適した全陸地の中でも最も豊かで肥沃な土地だと考えられていたし、また実際そうだった。
 しかし三度目の大地殻変動がこの不運な惑星を襲った時、この惑星上で当時最も豊かであったこの国は、多少とも豊かな他の陸地ともども、<カシュマヌーン>、つまり彼らのいう<砂>によって埋めつくされてしまったのだ。
 この大変動の後には、ティクリアミッシュ国は長い間<何もない砂漠>と呼ばれていた。今ではその各部分は別々の名前で呼ばれており、以前の主要な地域は<カラクーン>、つまり<黒い砂>と呼ばれておる。
 この時期には、これとは全く別の第二の三脳生物のグループがこのアシュハーク大陸に生息していたが、その場所はマラルプレイシー国と呼ばれておった。
 後になるとこの第二グループも生存の中心地をもつようになるが、これを<ゴブ市>と呼び、この国全体も長らく<ゴブランディア>と呼ばれていた。
 この地域も後にはやはりカシュマヌーンでおおわれ、かつて栄えたこの国の主要部分は今でも<ゴビ砂漠>と呼ばれておる。
 さて、惑星地球には当時、これらとは別に第三の三脳生物のグループがあった。この独立したグループはアシュハーク大陸の東南部、つまりティクリアミッシュの向かい側、すなわちこの不運な惑星を襲った二度目の大変動の時にアシュハーク大陸に生じた異常な突出部の別の側にその生存の地を定めていた。
 この第三グループの生存していた地域は、前にも言ったように、当時は<パールランド>と呼ばれていた。
 この地域の名称もその後何度も変わり、今では惑星地球の表面のこの陸地部分全体は<ヒンドゥスタン>、あるいは<インド>という名称で呼ばれておる。
 (*ティクリアミッシュ・・・アシュハーク(アジア)大陸に存在した文化の中心地。地球を襲った三度目の不幸である大嵐でマラルプレイシーともども地中に埋没し、南に移住したその住民は今のペルシアに、北に移住した者はキルキスチェリに定住した。グルジェフはこの文明を、アトランティスと並んで人間が生み出した最高の文明とみなし、J.G.ベネットはこれをシュメール文明と同一視している。)

 グルジェフによると、アトランティス大陸の崩壊(第二トランサパルニアン大変動)の後、そこから逃れた人々が集まったのが、アシュハーク(アジア)大陸であり、そこで生まれた二つのグループは、大嵐(第三トランサパルニアン大変動)によって、砂に埋もれてしまっと言うのである。(*モンゴロイド自体は、アトランティスを経由していないらしい。 古代エジプト文明も、この時期に埋もれた。)


google map

 シュタイナーも、アトランティス大陸崩壊後、東方に逃れた人々(ツラン民族)の重要性を語っているが、砂に埋もれた都市云々についての言及があるのか小生は知らない。シュタイナーは、霊的な流れを重要視していおり、グルジェフのように、この時代を詳しく(というより物質的に?)表現しない。また、第二、第三トランサパルニアン大変動についても、アトランティス大陸は永い永い時をかけて崩壊していったと表現しており、変動期の区別が薄い。霊能者の先史時代における描写は、”だいたい同じことを言っているが、少し違う。”という感じだ。

 第三トランサパルニアン大変動の時期を、人智学に当てはめるといつくらいであろうか? 人智学では、BC.8000~6000年に、アトランティス大陸は、洪水、氷、水による破局で水没したとあり、グルジェフは、大嵐でマラルプレイシーともども地中に埋没し、南に移住したその住民は今のペルシアとなったとあるので、やはり、BC.8000~6000年の、洪水伝説の頃とみてよいだろう。すると、第三変動は第一文化期、インド文化期(BC.7227~5067)に該当する。第二文化期がペルシア文化期(BC.5067~2907)であるので、文明の流れも整合しているように見える。

 さて、大嵐によって埋もれた文明の一つに、東アジアの秘儀センターにつながるものがありそうである。引用中、赤字で記したカラクーンゴビ砂漠インドのうち、該当するのはゴビ砂漠であろう。

 ゴブ(Gov)→ゴビ(Govi、Gobi)と転じ、ゴブ市のあった場所はゴビと呼ばれ、”モンゴル語で「沙漠、乾燥した土地、礫が広がる草原」などを意味する”wikiようになった。


wiki ゴビ砂漠の西方にあるのはタクラマカン砂漠。

 では、この砂漠の付近に、ルシファーが受肉した秘儀センターの残照や、マニ教の痕跡に関するものが、あるだろうか?
 
 ・・・

 もちろん、映画にもなった、アレがあった。
 
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 つづく。

受肉したルシファー(その3)


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